はぐれ雲から群雲へ
                    ―23話・竜が眠る渓谷―

―白竜谷―
ナルト達が砂隠れの里に到着する少し前。老紫達は、遥地翔によって白竜谷に降り立った。
目に飛び込んできた青々とした雄大な山々は、壮観の一言に尽きる。
目線を少し下の方に向ければ、谷底を縫うように流れる大きな川も見えた。
「おーっ。こりゃ、ちょっとばかし懐かしい景色じゃの!」
山国である故郷の国の景色を思い出して、老紫は感嘆した。
土の国に数多ある名峰に劣らない素晴らしい景色だ。
「素晴らしい景色でしょう。ここは古来から、あの谷底の川に竜が宿るとされる霊場です。」
白竜谷は、谷底に流れる曲がりくねった川が生み出す渓谷の美が有名な場所だ。
川の水は澄み切って美しく、名高い滝もある事から、雷の国では景勝地に数えられている。
「で、この谷のどこにその水はあるんじゃ?」
「あの小山を2つ越えたところさ。滝の近くだけど、ちょっと外れたところあたりだったかねえ。
ま、行ってみないことには、始まらないよ。あたしも、きっちり場所を覚えてるわけじゃないからねえ。」
鈴音が指差しているのは、ちょうど北東の方角だ。
山脈の中でもやや小さな山がいくつか連なっているあたりが、確かに確認出来る。
しかしこの言い方だと、山を越えた後は少し探し回る事になりそうだ。
「何じゃ、当てにならんのう姐さん。」
「悪いねえ。あたしみたいに、日頃は政務をやってればお終いの身分やってるとさ、
なかなか採取地の事情には詳しくなれないものだよ。」
「むう、面倒くさいの。」
失礼ながら見た目と口調で判断すると、確かに鈴音は野山を好き好んで歩き回るタイプには見えない。
むしろ、屋内で優雅な趣味をのんびり楽しんでいそうだ。少なくとも、老紫の目にはそう映る。
それを除いても、老紫と一緒に諸国を漫遊する鼠蛟と比べると、なかなか土地の最新情報を拾いにくいのだろう。
「ところで。」
歩き出して間もなく、鼠蛟が先に立って歩くユギトと鈴音の背に声をかけた。
歩みを止めないまま、2人が首だけ振り返る。
「何だい?鼠蛟。」
「ユギト。そなたの傷、どうつけられた?」
「傷とは?」
少し怪訝な顔で彼女が聞き返してくる。質問の意図を掴みかねているようだ。
「変な傷があった。」
「どういうやつじゃった?」
「服が無傷なのに、体が裂けていた。」
昨日ユギトの体を見た時、鼠蛟は負傷の仕方が妙な事に気付いていた。
普通、切り傷や刺し傷が出来れば当然服も無事ではすまないはずなのだが、
彼女は深手を負っていたにもかかわらず、ほとんど服が無傷だったのだ。
治療をしながら、彼は密かにその点に首をかしげていた。
「ああ……2人組のうち、飛段という男の術です。
攻撃が当たってもいないのにわき腹から血が噴き出て、はっと見ると奴が陣の中で自分の腹を刺していました。」
「意味が分からんぞい。えーと、そいつと姉ちゃんが何故かおそろいの怪我したって事かの?」
状況を見たわけでもないので、老紫には余計に想像が付かない。
ただ、言葉通り解釈すればそういう事になってしまう。
「そうそう。多分、呪術の一種だと思うんだけどねえ。
人間用に限ると、あたしもちょいと心当たりは無いんだけどさ。聞いた事もないよ、自分を贄に呪いなんてねえ。」
「わしもじゃ。しかし、厄介な術じゃのー。
暁とはいずれまたぶつかるぞい。何か対策が必要じゃな。」
老紫は渋い顔でうなった。
陣を用いる他はどういう理屈の術かは不明だが、ユギトの口ぶりからするとなかなか面倒な術に思える。
「妨害役で何とかなる……かもな。」
一方的に攻撃を加えて完封出来ればそれに越した事はないが、さすがにそれは難しい。
それなら定石通り、相手の術の妨害に勤しむ役を置いた方が戦いは楽になるだろう。
「そうじゃの。一対多数で袋叩きに限るぞい!」
「はは……結局そうなりますね。」
厄介な相手にそう簡単に妙案が出るわけはない。一度敗北を喫したユギトが苦笑いしている。
「その場合、あんた位使える子を揃えないとだけどねえ。」
「む、そうじゃったな。」
ユギトに対する鈴音の言葉で気付いたが、雲隠れの壊滅した砦はまさにその一対多数に近い状況だった。
それでもコテンパンにされたのだから、敵はまったくもって面倒だ。
「いえ、戦いに奇策や裏技は早々あるものではありません。
負けてしまったのは、私達の鍛錬不足です。」
「しかしのー、尾獣化を破るような敵の方が規格外じゃぞ?」
兵器扱いされるだけあって、尾獣化した人柱力は常人の手に負える代物ではない。
手練れの忍者達が束になって掛かっても、まとめて返り討ちにされてしまうという事も珍しくないと言われる。
それをたった2人で打ち破った相手が異常なのだ。
「ええ。ですが、たった2人に負けたのは事実。大事な砦を預かる忍者として、恥ずかしい限りです。」
「あんたは本当に、肩の凝る事ばっかりお言いだねえ。
少しは気を抜いた話し方の1つも出来ないのかえ?」
責任感の強さに感心どころか呆れを覚えた鈴音が、煙たそうな顔をした。
仕事中とはいえ雑談に近い調子の話で、がちがちに堅いのは好みではないようだ。
「放っておいてくれ。私の性格だ。」
きっとにらみつけて、立腹したユギトは心なしか歩調を速めた。
そうこうしているうちに分かれ道にさしかかり、一行は険しい方の山道を伝って尾根に出た。
山と山を繋ぐ細い道は片方が断崖絶壁に近い急斜面で、人が2人すれ違うのもためらうほどだ。
足を滑らせてしまったら、一巻の終わりだろう。
「本当は、あんたに飛んでもらうと早いんだけど、この辺りは下に観光客が多くてねえ。まだるっこしいけど、我慢しておくれよ。」
歩くとどうしても平地より時間がかかる山地は、鼠蛟に乗って空から向かう方が時間の節約になる。
しかし景勝地として知られるこの辺りには、登山客が居る場所も多くあり、
生息していない巨鳥が飛んでいたら目立つ危険性はとても高い。
だからこうして、登山道から外れた道を地道に歩いていくしかないのだ。
「なになに、これ位、土の国育ちには慣れっこじゃ!わはははは!」
「……嘘つけ。」
この雷の国の港町を出てすぐ、山道で愚痴をこぼしていたのはどこの誰だったか。
鼠蛟はしっかり覚えているので、ぼそっと悪態をついた。老紫が美女の前で見栄を張っているのは丸分かりだ。
「それにしても、すっきりしない天気じゃのー。」
「そうだねえ。湿っぽい気がするよ。」
空を薄灰色の雲がまだらに覆っている。晴れ間が半分、曇り半分。
煮え切らない空模様が、山歩きという事もあってとても気になった。
何しろ、山の天気というものは変わりやすい。しかも雲は、西の方にも広がっていた。
「急ぎますか?」
「うーむ……ちょっとだけ急ごうかの。」
天気の好転が望めそうもないと判断して、老紫はユギトの問いにそう答えた。
変なところで雨に降られて、足止めを食うのはごめんである。足腰には堪えても、早く用事を済ませた方が何かと得だ。
雨でぬかるんだ山道など、歩きたいものではない。
まして、今歩いている足場の悪い細い道は、まだかなり先まで続いている。
「せめてここを抜けるまでは、天気が持って欲しいですね。2時間は歩きますから。」
「2時間……長いのう。」
見栄も張れない数字を聞かされて、老紫はこっそり愚痴をこぼした。

しばらく進んで、尾根から今度は山中の林の道に下る最中の事。
「ん?」
ユギトが不意に険しい表情になり、足を止めた。
「何じゃ?」
(静かに。向こうに、ちょっと気になる一行が居ますので。)
声をひそめた彼女が指差した方向。道から外れた木立の中に、黒っぽい装束の怪しい三人組の男が居た。
一見すると山菜取りにでも来たようにかごやら鎌やらを持っているが、どうもそれと様子が違う。
周囲を警戒し、空気もピリピリとしている。一行は気配を消し、様子を伺いながら距離を詰めていく。
「この辺りか?」
「いや、もう少し奥だ。」
「ったく……こんな所で待ち合わせしろなんて、上もどうかしてる。」
目印も何もあったものじゃないと、3人の中で一番若そうな男がぼやいた。
土地勘がないのか、変わり映えのない山中の景色で少しうんざりしているようだ。
「文句を言うな。早くしないと間に合わないぞ。」
リーダーと思われる先頭の男が、文句をたしなめる。
若そうな男の言うとおり、ここは目印に乏しく待ち合わせには不向きな山奥。
こんなへんぴな所で待ち合わせとは、おおっぴらには会えないような用事である可能性が高い。
(怪しいな……鈴音。)
(あいよ。)
ユギトに答えた彼女は、すっと紫色の扇を取り出した。
わずかな音と共にさっと広げた扇には、美しい満月と雲が描かれている。
(お?)
風の術でも使うのかと思って、老紫が鈴音の手元に注目する。一体どんな戦い方をするのだろうか。
彼女が妖力を込めて軽く扇ぐと、うっすらと紫がかった霞が立ち、すぐに拡散して三人組を包み込んだ。
「うっ……。」
急に気分を悪くして、1人が胸を押さえる。顔を思い切りしかめて、結構苦しそうだ。
急な事に、隣の男が驚く。
「おい、どうした。毒か?」
「そうみたいだな……敵はどこだ?」
敵に気付けなかった事への戸惑いからか、3人は浮き足立っていた。
気分の悪さからか、冷静さを欠いていて動きも悪い。そこに、ユギトが投げた特殊な投網が降りかかる。
『!』
霞の力で動きが鈍くなっていた彼らは、あっさり網で捕縛された。時間にして1分もかかっていない。
網の中でもがく男達の前に、ユギトを先頭にした一行が姿を見せた。
「お前達は、指名手配されている犯罪者だな。一体どこから、何のために来た?」
「答えると思ってんのか?このアマ。」
「おや、忠義者だねえ。ふふふ。」
にらんできたリーダー格の男を、鈴音が小馬鹿にして笑った。
ここで相手が意地を張ったところで、後で吐かされるのが目に見えているからだろう。
「強気でいられるのも長くはない。それだけは、覚えておくといいさ。」
定番のやり取りにそう長く時間は割かない。ユギトは男達との問答を打ちきって、相方に目配せする。
「ま、行ってからのお楽しみさ。」
鈴音が嫌味な程にっこり笑って、用意していた背丈20cm程の綺麗な壷を3人の前に置いた。
そして、壷に手をかざして精神集中に入る。少し間を置いて、彼女は呪文を唱え始めた。
「野放図にのさばる由々しき者。天に汝の所行を眺める義理はなく、地に汝を載せる義務はない。
不逞の輩にふさわしきは、掌中に収まる壷の内――壷中牢。」
詠唱が終わると壷の口が淡く輝き、呆気に取られた男達がゆっくりと淡い光になって吸い込まれていった。
「え、何じゃ?壷に入れてしまったんか?」
「そうだよ。ここじゃあすぐには応援が来られないし、置いていったら逃げるしねえ。
だから、あたしの十八番を使ったのさ。」
目をぱちくりさせる老紫に、壷を片付けながら答えた。
彼女はこういった道具を使う小技も得意としている。
「ほー、初めて見る妖術じゃの。馬鹿鳥もついでにしまってくれんか?」
「うふふ、あいにくそれは無理だねえ。
これはじっとしてくれる相手じゃないと失敗するし、そのお人は力が強すぎて、こんな壷すぐに壊しておしまいになるよ。」
「うーむ、投網で巻いといてもだめかの?」
ダメもとで聞いたつもりのはずなのに、いざ出来ないと言われるとどうにかしてやりたくなって、未練がましく質問を重ねる。
気分を害した鼠蛟が、白い目で老紫を見ている。
「投げ返してやる。」
「はいはい。それ位におしよ。」
扇を口元に当てて、くすくす鈴音が笑った。ユギトも横で苦笑いしている。
普段ならもっと相方と口喧嘩をするところだが、
美女の前でまたもやいいところでも見せたいのか、鼠蛟が意外に思うほど老紫はあっさり引いた。
「?」
「何じゃ、その目は。」
「別に。」
言い募られなければそれでもう構わないので、鼠蛟はすぐに身を翻した。
喧嘩第二幕ともならず、至って平和な幕引きだ。老紫が話を引っ張らなければ、案外平和なのかも知れない。
「ところで今の連中、もしかしてどっかの犯罪組織の連中かの?」
「ええ、人相から言って間違いありません。手配状に組織名も載っています。」
「ほー。……暁絡みじゃないじゃろうな?」
先日暁と交戦したばかりのせいか、黒っぽい装束を見ると何となく彼らを連想してしまう。
老紫から関連を尋ねられたユギトは、難しい顔をしている。
「そこはまだはっきりしませんが、そうでないとも言いきれませんね。」
「嫌らしいのー。もし暁関係だったら、しつこすぎるぞい。ゴキブリ並じゃな。」
あちらこちらに手下を送り込んでいるとすれば、さながら年中はびこる台所の害虫だ。
品のない例えだが、老紫にとってはこれが一番しっくり来る。
「懲りるような小悪党だったら、楽だったんだけどねえ。
ま、連中とは決まった訳じゃあないし、深く考えるのはおよしよ。」
後で調べれば分かる事とあって、鈴音はさっぱりしたものだ。
もっとも、暁と関係している可能性が低くないことは、彼女も承知だろう。
「ところで暁と言えば、奴らの情報はどれ位掴んどったんじゃ?
事件前からちょこちょこあったじゃろう。」
「ええ。近頃、下部組織が国内で活動していたという情報が複数上がってきていました。
それで警戒していた矢先に、あの有様です。今更言っても仕方のないことですが、本当に悔しくて。」
「そうじゃろう、そうじゃろう。」
事前に情報を掴んで、それなりに備えていたにもかかわらずコテンパンにされてしまっては、プライドも面目も丸潰れだ。
それこそ、地団太を踏みたくなるくらい悔しがっても当然である。
「おかげで昨日は、お偉方がそろって大慌てしていたそうだよ。
『あのユギトの砦が〜』ってねぇ。大の男が揃って取り乱してたってさ。」
くすくすと鈴音が笑う。想像すると面白いらしい。
「笑い事じゃない。」
ユギトがむっとして顔をしかめた。
「あんたの所のは、立派な体つきのお人が多いから、どうもおかしくてねえ。」
―確かに、面白い……かもな。―
雲隠れの重鎮は、雷影以外にも大柄な人間が多いらしい。
強面で六尺超えの筋肉だるま達が右往左往する様を想像し、鼠蛟はうっかりぶっと吹き出した。
「っ……くく。」
「あんた、黙っていきなり吹き出すのはおよし。ぎょっとするじゃないかい。」
「筋肉だるまで……つい。」
「そんなに面白いものではないのですが……はあ。」
真面目そうな相手にまで笑われたと気落ちしたようで、ユギトのため息は重い。
真剣な話し合いの空気だったのに、それが部外者にさっぱり伝わらなければ、頭も痛いことだろう。
「ともかく、先を急ぎましょう。」
「おっと、そうじゃったな。」
こんな所で妙な道草を食う羽目になったが、まだ肝心の採取は終わっていない。
ついでに見上げた空の天気も相変わらず思わしくなかったので、一行は再び目的地へ急いだ。

林の中の道を抜け、谷底の川伝いに歩き続ける事数時間。
途中小雨に降られながらも、何とか見込んだ時間通りに進んでいた。
川の上流に向かう道を歩いていると、だんだんと川幅が狭くなり、今はちょうどごつごつした岩場に差しかかっていた。
「おー、やたら青い沢じゃの。」
目的の瑠璃の湧き水が漏れ出ているのか、小さな沢が鮮やかな青を帯びている。
「飲めないぞ。」
「飲めんのか……むう。」
せっかくの天然水なのにと、普通じゃない水を前にして言うセリフではないぼやきが漏れる。
釘を刺して良かったと、鼠蛟はこっそり確信した。この水は、このまま飲んで体にいい物ではないのだ。
「もうじきつくね。こっちだよ。」
鈴音の案内で、沢沿いの藪にひっそりと口を開けた湿っぽい洞穴に入る。
中はごく浅く、入って何歩も歩かないうちに小さな泉が出迎えた。
入口から射し込む光に照らされた水は、沢よりもずっと深い青をたたえている。
「ほら、これが目的の物さ。」
「どれ位いるんじゃ?」
老紫はがさごそと音を立てながら、出かけに預かった水袋を腰のずだ袋から引っ張り出す。
「そうですね、その水袋に一杯で結構です。」
「よし、これでいいの……って、鳥。おぬし何してるんじゃ?」
「採取。」
ユギトの指示通りに老紫が水袋を満タンにしている間に、鼠蛟もちゃっかり自分の分を水筒に確保していた。
後で使う予定があるようだ。
「また変な実験とかする気じゃな……。」
人体実験だけは勘弁して欲しいところだが、最近老紫以外にも被験者になりそうなメンバーが居るので、
何かしでかしそうな気がうっすらと彼の脳裏をよぎった。
もっとも用途不明な今の時点で考えた所で、仕方のない事だ。
「ところで、鈴音。」
水筒を締まってから立ち上がった鼠蛟が、一歩引いた所に居た鈴音に声をかける。
「何だい?」
「そなたの所に、他の知り合いの噂は来てるか?」
「それだったら、この上にある雷獣の離宮で聞いてみるかえ?
今日の天気次第じゃ寄るかも知れないって、昨日の内に連絡をしておいたんだよ。」
「おー、そんなところがあるんか!もちろん行くぞい!」
離宮という事は、本人が不在でもその家族や身分が高い部下が居る可能性が高い。
雷獣の長・神疾はまだ仲間になっていない尾獣だから、その情報が少しでも得られれば役立つだろう。
ここで行かない手はないので、老紫は二つ返事で快諾し、鼠蛟もそれに同意した。

―白妙宮―
山中にあるとは思えないしっかりした宮殿。
岩を彫刻したような外観が面白いそれは、里と言うよりも城と言った方がいい作りだ。
「この白妙宮にようこそお越し下さいました。
大したおもてなしも出来ませんが、どうぞごゆるりとおくつろぎ下さいませ。」
4人を出迎えてくれたのは、男と女の部下を1人ずつ従えた淡い紫の髪の女性。
胸元が開いた、床に着きそうなほど長い水干状の袖の衣装が高貴な身分を示している。
「おや、奥方自らお出迎えとは嬉しいじゃないか。変わり無いようだねえ。」
「猫の主様も、お変わりなくて何よりでございます。」
機嫌よく微笑む鈴音の挨拶に応じる女性は、雷獣の王・神疾の正妻。
見たところは背がやや低く小柄なところが可愛らしくも映るが、気性の荒い雷獣達を夫に代わり取り仕切る女主人である。
急な来客にも動じた様子ではなく、堂々としたものだ。
連れてきた部下達をいったん下がらせてから、こちらに笑みを浮かべて向き直る。
「旦那が不在で、色々苦労してないかえ?」
「王でしたら、喜ばしい事に最近は時折お帰りになられるようになりまして。
わたくし達の事もねぎらって下さっております。」
「神疾は、自由にしているのか?」
「ええ、器からの解放は叶っておりませんが、その方を閉じ込めていた里からお連れになったのです。」
「おやおや。あのお人らしいこと。」
そうだなと、鼠蛟もうなずいた。
神疾の性格は老紫やユギトの知るところではないが、このやり取りだけでじっとしていられる性分でない事だけは分かった。
「帰ってる時以外はどうしてるんじゃ?その辺ほっつき歩いとるんか?」
「そうですわね、長年閉じ込められておいででしたから、地方の視察をなさっている事が多いのです。
都においでになられるのは、月に1度程度ですわ。何か王に御用がありましたら、お伝えいたしましょうか?」
「出来ればすぐに会いたいのだが、無理か?」
鼠蛟が単刀直入に要望を伝えると、王妃は難しい顔をした。
「申し訳ございませんが、もしもそれがお連れの方の所属先のご都合でしたら、お受けいたしかねます。
王は今、とても忍者の来訪を嫌っておいでですので。」
「ああ……抜け忍連れでいらっしゃるからですね?」
「左様でございます。何でも忍者の里は、脱走者に多数の追っ手を掛けると聞き及んでおります。
王はそれをまことに忌々しくお思いで、器の噂をかぎ回る忍者を見かけたら、片っ端から始末しておけとの仰せです。」
「ずいぶん用心しとるの。追っ手がしつこいんじゃろう?」
「ええ、帰るたびによくお話になられます。
今月は何人の首を取ったとか……小虫の類と思っても、しつこいと本当に困ったものですわね。」
苦笑いしている王妃の言葉はさらっとしているが、内容は結構血生臭い。
彼女の夫は、旅の途中でかなりの追っ手を手にかけたようだ。
別にそんな事では老紫も驚かないが、それでちっとも動じない彼女の姿に、やっぱり妖魔の神経は違うなという感想を持つ。
「……そうか。借りていた本を返したかったんだが。」
「本でしたら、代わりにお預かりいたしましょうか?」
「いや、手渡しでないと困るのだ。春本を奥方から渡されるのは、さすがに……。」
語尾を言いよどんでみせると、王妃は一瞬目を丸くした後、笑いをこらえて口元に手を添えた。
確かにいくら預かり物といっても、妻からエロ本を渡されたら夫は複雑だろう。
そうならないよう気を使って、直接渡したいと言う要望ももっともである。
「まあまあ、それは失礼をいたしました。では、鼠蛟様がお会いしたいという旨、王にお伝えいたします。」
「何を返すか書くから、これを渡して欲しい。」
鉛筆を使ってささっと手元で書きつけた紙を、折りたたんでそのまま渡す。
「確かに承りました。今日中にお届けいたします。」
「すまないな。」
「いいえ、お気遣いなく。」
「あの……こう言っては失礼なのですが。」
「?」
「仮にも一種族の王が、それでよろしいのですか?」
個人的なやり取りに口を挟むのは無粋と知りつつ、ユギトは聞かずにはいられなかった。
いくら趣味とはいえ、エロ本のやり取りとはいかがなものだろうか。
「立場の前に、男だし。」
「あんたは言う事が露骨過ぎだよ。」
先程3人組の男達を無力化した時に使った扇子で、鈴音がこつんと鼠蛟の頭を叩く。
「そりゃ三十路のとうが立った女だけど、少しは遠回しに言ったらどうだい。
歯に衣は着せておくものだよ。」
「そう言っているお前こそ、歯に衣を着せて欲しいんだがな……私は。」
人前に居るという意識で怒りをこらえながら、ユギトは相方に毒づいた。
微妙な年頃に対する気遣いこそ彼女には欲しいようだが、あいにく鈴音は優しくなかった。
「おやおや、怒ると眉間のしわが癖になるよ?」
「お前が余計な事さえ言わなければ、癖にならずに済みそうだ。」
反論する彼女の額には、すでに癖になってしまいそうな気配を漂わせる眉間のしわが刻まれている。
声は抑えても、あいにく表情まではままならない。
「まあまあ、猫の主様ったら。それ位になさって下さいませ。お連れの方がお可哀想ですわ。」
「ふふ、大丈夫さ。ちゃんとこれでお終いにしておくよ。」
王妃にやんわりとたしなめられた鈴音が笑う。
横で内心ユギトがほっとしたのは、言うまでもない。

それから一行は、山道を歩いた疲れを少し休んで癒してから、遥地翔で一気に雲隠れの里までとんぼ返りした。


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久々に、更新が前回から3ヶ月近く空きました。絵をいじったり詰まったり、時間って恐ろしい子です。
二尾コンビをいまいち動かし慣れていないせいなのか、若手が留守のせいなのか。
それはともかく、次に会うコンビ(というか妖魔)の情報がちらちら出ました。
次はパーティ合流で、今後の目的地が決まります。
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