赤いドブ


太陽が地平線からようやく離れたような時間。
窓から差す光で目覚めた加流羅の目に、一足早く起きていた守鶴の横顔が映る。
物思いにふけっているらしいその面差しは少し目がきつく、真剣な考え事なのだろうと想像がついた。
「おはよう……朝から考え事?」
「ん?あー、大したことじゃねぇよ。」
話しかけられた事に気づいた瞬間、彼の表情はいつも通りのものに変わった。
適当にはぐらかしているが、額面通りではないのは分かりきっている。
いつもなら流してしまうところだが、今日は少々引っかかった。
「……あなたったら、何も教えてくれないのね。」
加流羅は起き上がって、守鶴の顔を斜め正面から覗き込む。
気をそらすために話題を変えられた子供のような顔の彼女は、ずいぶんと機嫌悪そうだ。
「そーか?」
「そうよ。あなたはいつもそう。」
金色の瞳の奥に、一体何が宿るのか。覗き込んでも、瞳に浮かんだ表情が覆い隠して幻惑する。
さながら、水面に波紋が広がると水底が歪んで映るように。
余裕が漂う、愉快そうに加流羅を見る目の奥に宿るものは、一体どこに潜んでいるのだろう。
この目の奥にどんな感情が溜まっているのか、加流羅は多くを知らない。
ただその中に、恨みと憎しみがある事だけは知っている。
時折浮かんで来るそれは、冷める事のないマグマに似ていた。
怒りっぽい短気な人は、溜め込まないからかえっていいというのは嘘だ。
沸騰したやかんの湯と地中のマグマが、熱いから同じというような乱暴な意見に過ぎない。
憎しみを抱く対象を目にした時、語る時、この目の奥は鮮烈な血の赤に染まっている。
普段怒っている時とは比較にならないほどで、その目は加流羅にも恐ろしい。
簡単に言えば妖魔の本性が表れている状態なのだから、恐怖を感じるのは当たり前とも言える。
「ドブの中をのぞきたいなんて、意外と悪趣味だったんだな〜。」
己が隠している感情をずいぶんと濁ったものに例えて、守鶴はニヤニヤしている。
正面から視線をぶつけても動じた風ではない。
「ドブがあっても、ふたして土までかぶせちゃうのはどこの誰よ。」
長年の付き合いで守鶴の言い回しがうつったのか、即座に加流羅はそんな風に切り返した。
しかし、彼はより一層楽しそうに笑うだけだ。
「んー、知らねぇ奴が地雷踏むのを待ってるんだよ。」
「悪趣味ね。」
「ひゃはは、何とでも言えよ。」
むっとして睨んでも、子犬に吠えられたような反応しか返ってこない。
これが生きていた時間の差という奴だろうか。お互いの見た目からは見えない年齢差が、こういう時はちらつく。
「あなたは私の事なんてほとんど全部分かっちゃってるのに、ずるいって言ってるのよ。」
例えるなら、神経衰弱を大差で負けた気分とでも言おうか。
対戦相手が、カードの裏が見えたかのように次々ペアを揃える光景を目にしたら、さぞ気分が悪くなるだろう。
「そりゃ、分かりやすいしな。」
黄金の目が、澄んだ孔雀石の目を見る。
感情や心情がとても素直に現れる瞳。深い色合いだが、その色は中に隠れるものを隠し通せない。
光を当てれば、素直に光を通して中の物をさらけ出してしまう、そんな目だ。
一方守鶴の目は明るい色合いだが、中の物はすっかり隠してしまう。
光を当てた時に、それを外に反射してしまうからだ。だから、表面に出ない限り中の物は見えない。
加流羅が言いたいことはもちろん百も承知だ。
「悪かったわね。でも、何だか不公平な気分よ。そんなに私には見せたくないの?」
「そんなに見てぇのか?」
「何が入ってるか、見当さえつけさせてくれないじゃない。
もう10年以上も一緒に居るのに。」
見てもいいものなんて何もないぞと言う軽い忠告が透けて見えても、加流羅はそれ位で引っ込まなかった。
妖魔のそばに居ようと決めた以上、大抵のもので愛が冷めたりはしない。
形の見えないものの確実さは測りにくいが、それでも歳月の重みだけではない根拠があるつもりだ。
「そうじゃねぇよ。」
からかってばかりいるが、彼女が抱えている欲求を彼はちゃんと理解している。
少しくらい頼ってほしいから、暗い一面でも見たいというのだろう。
「……じゃあ、どうして?」
「別にそんなことを話さなくたって、お前が居てくれるだけで癒されるんだぜ。」
「……どういう意味?」
守鶴の言葉の意味を分かりかねて、加流羅が怪訝そうに聞き返す。
確かに彼が安らげるような気遣いは心がけているが、果たしてそれだけで十分なのだろうかという疑問は残る。
「いくらオレ様でもな、さすがに楽しみに乏しけりゃ爆発するぜ。」
精神が頑丈であるし、多少のことで本音をぶちまけたりはしないが、
それでもやはり生活に潤いがなければ遅かれ早かれそんな余裕も乏しくなってくる。
そこでオアシスとなるのが、守鶴にとっては笑って迎えてくれる妻や恋人である。
閨で睦みあう時間はもちろん、他愛の無い会話や共に過ごす時間と言うものが、
心をささくれ立たせるものをきれいに掃き清めてくれるのだ。
家で気分よく過ごせれば、いつも余裕が持てる。彼にはこれが何よりありがたい心遣いなのだ。
「私はあなたの防波堤?」
「んー、嫌か?」
居るだけでいいという注文は、彼女が望むようなこととは確かに違う。
しかし守鶴にとって彼女が必要であることに変わりはない。
「ううん。まぁ……それであなたがいいなら、構わないわ。
ごめんなさいね、困らせちゃって。」
守鶴は元々そう簡単に弱音を吐くタチではないし、親分肌だから自分が頼られたい性格だ。
言ってと請われたところで言ったりはしない。
それを分かっていてこの話を切り出した事を少し後悔する一方、彼の望みをはっきり口から聞けたのは大きかった。
まるで愛玩動物のようだが、彼の気が休まる存在で居られるならそれはそれでいい。
そもそもこんな事を聞いたのも、加流羅は自分が彼の恩恵を受け取る一方な気がして引け目を感じての事で、
少しでも返せているのならそれでほっとできた。
「その代わりに、たまには甘えてね。」
「んじゃ、今度まゆなし絡みの愚痴でも聞いてくれねぇか?」
「ええ、いいわよ。ところで、今日は何を食べる?」
抱きしめるには大きな彼の体に抱きついて、加流羅は微笑んだ。


―END―  ―戻る―

たまには甘えられたい嫁な図。書きかけを仕上げました。
寝起き=朝だというのに、テンションが低い会話です。
帰ってきたらくつろげる家があるなら守鶴はいいらしい。
長い事心労ばっかりの加流羅に、あんまりテンション下がる話題は持ち込まない模様。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送