嘆きが聞こえる。母親の、姉の慟哭が。
この世に留まり、我愛羅を見守っていた加流羅の悲痛な叫び。
愛する弟が、息子を暗殺するために死んだ。愛する息子が、癒えない深い傷を心に負った。
文字通り、魂が引き裂かれるようなその声は守鶴の元にはっきり届く。
“加流羅……。”
守鶴がかけた言葉も、どこか悲しげだった。彼には、我愛羅の内側からでも彼女が涙する姿がよく見える。
愛する者達が不幸のどん底に落ちてしまったことは、どれだけ彼女を苦しめることか。
“夜叉丸……ごめんなさい。私が、私が……そんなにあなたを苦しめていたなんて。”
変わり果てた弟を前に、加流羅は悔いた。
そして、修羅へと変わり果てた息子を透き通った腕で抱きしめる。
“我愛羅、我愛羅……。我愛羅ぁ……!”
息子の前では、とうとう言葉すら失い泣きじゃくる。魂の身では、いくら抱きしめてもすり抜けるばかり。
あなたを愛していると、夜叉丸の言葉は違うと、どれだけ叫んでも届くことはない。
実体のない涙がとめどなく流れて落ちる。とうに見かねていた守鶴は、嘆く彼女の目じりをぬぐった。
“お前は悪くねぇよ、加流羅。”
“でも、私は、私は……!!”
守鶴を見上げるまなざしが痛々しい。
見上げたまま、彼女はさらに強く我愛羅を抱く。だが、すり抜けた腕が物悲しさを語るだけだ。
すり抜けるものが腕ばかりでない様は、あまりにも哀れすぎる。
守鶴の瞳が、ふつふつと沸き上がる怒りで揺らめいた。
“っ……聞きやがれ、冷血亭主!てめぇがやった事がどれだけ酷ぇか!
くだらねえ理屈のために、てめぇが壊しやがったものを知ってんのか?!
血を分けたガキと死んだ嫁を泣かせた先に、何があるって言うんだよ!!”
一連の風影の行動は、親分肌で部下と家族を大切にする守鶴には、理解したくもないものだった。
家族は、何よりも大切にすべきもののはず。
封印されてからずっと感じていたことが一気に爆発する。
守鶴の怒りは我愛羅の感情と呼応し、彼の砂が荒れ狂う。その勢いは他の砂をも震わせ、暴走の様相すら呈している。
周りで砂が暴れ狂っていても、我愛羅は彫像のように動かなかったが。
“やめて!守鶴、落ち着いて!!”
激怒した彼を恐ろしく感じ、加流羅は必死に訴える。
砂の王の激昂を表す砂が、また誰かを傷つけてしまいそうな気がした。
彼女はもうこれ以上、誰も傷ついて欲しくないと思っている。
たとえ、それが加流羅を殺した風影でも。
誰かを傷つけてしまえば、小さな息子の心はきっともっと傷ついてしまう気がした。
砂はますます荒れ狂い、ざわめく夜の砂漠全てが守鶴そのもののように振舞っている。
“お願いっ……守鶴!!”
彼が怒り狂う様を見るのもつらい。そんな彼女の想いがようやく届いたのか、砂が徐々に落ち着きを取り戻す。
我愛羅の方はともかく、守鶴の怒りは峠を越えたのだろう。
“オメーが優しすぎるんだよ……。だから余計、あの馬鹿に腹が立つ。
あいつを追いつめたのだって、結局冷血亭主のせいだろ。
そもそもお前が今も生きてりゃ、2人とも幸せだったはずだ。今より遥かにな!”
風影の居室あたりを睨みつけ、守鶴は吐き捨てるように言った。
彼にしてみれば、風影の妻への仕打ちはただの使い捨ての駒扱い。たとえ加流羅が許しても、彼はきっと憎むだろう。
なぜそこまで思うのか、優しい彼女には分からない。
ただ、その憎悪が加流羅への優しさやいたわりと同源である事は理解していた。
“……わりぃな。怖がらせちまって。”
すまなそうに呟いた守鶴の目に、先ほどの怒りの影は無い。
それに少しだけ加流羅は安心した。
“いいえ。……大丈夫。”
優しい妖魔だと、加流羅は思う。
人間という種族全体に対しては違うが、それでもこうして慰めてくれる事に、人間と何の違いがあるだろう。
少なくとも、望み通りにならなかったという理由で息子を切り捨てようとする風影よりは、よほど温かい感情がある。
無論彼とて、危険でさえなければ我愛羅を放っておいたであろう事は、加流羅も知っている。
もちろん守鶴も。だが、行動を受け入れられないことは2人とも同じだ。
加流羅は悲しみ、守鶴は怒るという違いはあるにしても。
“泣いても喚いてもいいから、我慢だけはすんなよ……。”
“……ありがとう。”
いまだ涙が伝う加流羅の頬。
だが、それでも彼女は笑っている。とても悲しい笑顔で。
“笑うなよ……。”
苦い顔で守鶴が呟く。
“昔は、笑えっていってたじゃない。”
まだ加流羅が生きていた頃、幻の中の世界で彼が彼女に言った言葉。
たとえ心がボロボロでも、心配させたくないばかりにあえてそんな事を口にした。
しかし意図とは裏腹に、その様子は余計に哀しい。
“本当に悲しい時まで笑えとは言ってねーよ。
そんな顔されっと、見てるこっちが泣きたくなるぜ。”
呆れ半分、悲しさ半分の本音を口にする。彼女の気性を知っているだけに悲しさは増す。
“ごめんなさい……。”
案の定悲しい笑みはすぐに崩れ、新たに溢れた涙が顔をうつむかせてしまった。
そんな加流羅を抱き寄せて、黄朽葉色の髪を優しく撫でた。
“謝らなくてもいいんだよ。謝らせたいのは、あの冷血亭主の方だ。”
―許す気はこれっぽっちもねぇけどな。
加流羅を涙させ、夜叉丸に甥を憎ませ、我愛羅を修羅へと変えさせた。
3人とも、風影が下した命令に人生を狂わされた犠牲者だ。
ひいては、それらの犠牲の上で成り立つこの里の生贄とも言えるだろう。
先程爆発して口走った言葉は、紛れもない真実の感情。
家族を不幸にするような男が、里のためという冷たく安易な名目を口走るたびに、何度殺したくなったことか。
里のためにというのなら、家族とてその里の一員だというのに。
いまだ黒く濁った怒りと憎しみをたぎらせている。
延々とくすぶる感情を抑えて、何気なく我愛羅の様子に意識を向けた。
だが、相変わらず我愛羅は動こうともしない。ただ、夜叉丸の遺体を見つめている。
夜叉丸を殺してしまったことのショックと、湧き出た強い人間不信の念が収まらないのだ。
行動を起こすような余力がないに違いない。
我愛羅の中に居るから、その心がよく見える。
それだけに、行為のむごさがより実感できるというわけだった。
そして、何かを決めた守鶴がこう呟いた。
“……何が何でも、思い通りにさせるわけにはいかねぇ。”
“……守鶴?”
彼の考えを汲み取りかねて、加流羅は一瞬悲しみも忘れて聞き返す。
だが、守鶴は首を軽く横に振った。
“いいや、何も。こいつの事は、今までどおり守ってやる。
もう、お前の弟も居ねぇ。守れるのは、オレ様だけだからな。”
憎しみと愛情の狭間で、それでも夜叉丸は長いこと我愛羅を守ってきていた。
気弱で優しかったこの子供の小さな心を。
よくやった。基本的に人間の男はゴミ程度としか思わない守鶴が、珍しく褒めるに値すると感じるほど。
最後に酷く我愛羅を傷つけたが、
彼だって感情の矛盾と立場に苦しんでいたのだ。責めはしない。
“そうね……。”
顔を曇らせた加流羅を見つめながら、守鶴は思う。
いかなる理由があっても、許されない事はこの世に確かに存在する。
我が子を、よりにもよって信じていた肉親の手にかけさせようとするのはその一つに違いない。

―今はおとなしくしといてやるよ。だが……覚悟しときやがれ。
今まで、愛した女のためならどんな汚い事でもやってきた。
たとえどんな形になったとしても、ただで黄泉路につかせる気はない。
風影の最大の誤算が、守鶴の怒りを買ったことだと身をもって知らせるために。
優しく美しい、3人の子の母親。
子供達から母を奪い、当然得られるはずだった愛情と幸せさえも奪った罪は果てしなく重い。
守鶴は、我愛羅だけにこうささやく。
“手を貸してやるぜ……。『母さん』のためにな。”
「……誰?」
真っ暗だった心に響く声。我愛羅は、かすれた声で守鶴に答えた。
かすかな戸惑いをまとわせて。
“オメーの中に居る、『化け物』様だよ。”
ようやく時を取り戻した我愛羅に言い放つ。
暗黒の誘いは、絶望に沈む心に甘美な露のように響くと確信して。



―END― ―戻る―
あのシーン、加流羅が見てたら泣くよなぁという思いつきで誕生。案の定かわいそうなことに。
珍しいマジ切れ守鶴つき。直接出てこなくても十分大暴れ。実体があったらその足で風影をしとめに行った勢いです。
ちなみに今まで書いた話の中で、本気で切れられているのは風影のみ。
自分で言うのもなんですが、四代目風影の扱いの悪さは人後に落ちないかもしれません。
ラストは、風影に逆襲したいがためにそそのかしたというオチで。
基本的に、女性がらみで守鶴を怒らせると後が怖いというのを念頭にしています(笑

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